療育・教育にセカンドオピニオンを

 現在、医療では、命に係わるような重篤な病気の場合にはなおさらのことで、最初からいくつかの治療の選択肢を用意し、比較検討しながら最善の方法を選んでいくようです。医療の側も患者の思いに理解を示し、積極的に複数の治療法を提示しようと努めます。いわゆるセカンドオピニオンとい...

《巻頭言》親と子のためのセカンドオピニオン~医療・療育・教育の選択肢~

January 30, 2019

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エルベテークで子どもたちはどのように教わってきたか③ 春野くん(早稲田大学3年生)の事例から

November 6, 2016

「もっと頑張ろう」という意欲がでてくる、それから

 

「教育の効果を自覚するまでには長い年月が必要」
 3 回シリーズの最終回は主に「『もっと頑張ろう』という意欲が出てくる」段階とそれ以降に焦点を当てながら、全体のキーポイントをおさらいします。

 

  ただでさえ教育の効果は出にくいですが、それを自覚するまでには相応の長い年月が必要かなと思うんです。

 

 現在、大学で教育学などを学ぶ春野くんは、今年の初め、教育の効果についてしみじみとこう言いました。成長や学力向上の前提・基盤となる自分自身の確かな力を、時間をかけ努力して身につけなければ何も始まらない、その事実を冷静に示したのだと思います。

 

 

 

スポーツや体育が苦手な子どもへの接し方
 ところで、3 月に開いた春の学習会の懇談会でこんな質疑応答がありました。
 ある保護者が体育に関する質問をしました。「息子は体育が苦手なのですが、春野先生は先生の言うことを聞いたりルールを守ったりしてスポーツができるようになったと自覚したのはいつ頃からですか?」といった内容です。
 彼の率直な答えは「おそらく小学校3 年生か4 年生の頃でした」です。彼の説明によると、記憶はおぼろげながら、その頃まではいまひとつルールがわからずに行動していたにちがいないとのこと。
 私が感心したのは、そのあとの彼の指摘でした。
  体育といっても、生徒と先生です。生徒側が先生のことを敬うのが前提にありますから、やっていることはエルベテークの学習とあまり変わらないイメージでした。(中略)先生が「こうしなさい」と言われたことを素直に受け入れる態度さえできていれば、体育は基本的に大丈夫なのかなと僕は思っています。結果的にルールがよくわかっていなければ、それは逐一、違う場で教えることが必要でしょうが、受け入れる態度さえできていれば、テクニック的なことは改善されていくと思います。
 発達の遅れを抱える子どもの場合、手順通りに手足や体を動かし、バランスをとるのが苦手なことが少なくありません。そして、競技のやり方はもちろん、集合や整列のルールがよくわからず、周りの子どもと同じ行動をとれないケースがよくあります。
 そのため周りの大人は表面的な「できない」「できた」といった技術面にばかり目を向け、そこに解決の糸口を探しがちです。むしろ、「受け入れる態度」という、着目すべき前提・基盤に目を向けるほうが大切との彼の指摘です。同じような内容を別の言い方で彼はこう話しました。
  体育も国語や算数の授業と同じで、先生のほうに目を向け、話を聞き、やろうとする気持ち、姿勢が大事じゃないでしょうか。
 彼が言うように、たとえ最初は体育やスポーツが苦手であっても、応じる姿勢、受け入れる姿勢を整え伸ばすことによって、どの子も大きな改善の成果を得られるようになるのです。

 

 

 

教室と家庭の連係プレー
 
もちろん、そうはいっても、すんなり事が運ぶわけではありません。いくら練習しても明確な得意・不得意は出てきます。彼の場合、100 メートル走や長距離走、あるいは水泳のような個人プレーは得意だった半面、連携プレーを要する競技は苦手でした。

2 つの動作が必要なもの、たとえばバスケットボール。ドリブルしながら動き、誰かにパスしなくちゃいけないというのは苦手でしたね。バレーボールやサッカーも苦手でした。
 ただし、前回で紹介したように、「努力して改善しよう、足りないところは身につけよう」と彼は彼なりに冷静に頭を切り替え、折り合いをつけようとしたのでした。
 受け入れる姿勢・応じる姿勢から自発的・自立的な力へというプロセスは学習面でも同様です。彼は作文の書き方やまとめ方、そしてコミュニケーションや説明に関する力を伸ばしました。家庭でも反復練習をし、そこから自発的・自立的な力を育てたからです。
 今春の懇談会の席上、保護者から作文についての質問があった時です。彼は、お母さんが作文用紙の使い方までチェックして家庭学習に取り組んだ様子を紹介しました。
 意外なことですが、家庭学習では句読点の打ち方を意識させられました。昔、僕は教科書をひと息で読んでいました。息切れしたらそこで吸ってという感じです。でも、「句読点で息継ぎしなさい」とエルベの学習で言われ、それを親が作文の練習でもやりました。たぶん親としてはリズムの良い喋り方になるように句読点の打ち方を意識させたんだと思います。
 意識的な家庭学習は、発語が遅れ、さ行などの滑舌に難点が見られた発音練習にも役立ったと思われます。
 また、作文のまとめ方の練習についてもお母さんは、いきなり書かせるのではなく、前もってお互いにいろんな話をし、そのあと文章をまとめさせるように工夫しました。エルベテークの教え方を自宅でも継続したのです。
作文の内容は変わることはあります。でも、親が「こう書け」というのではなく、「ここはどうだったの」「それってこういうことじゃないの」みたいに若干助けてもらいながら、「いま、自分で言った内容を踏まえて、もう一度書き直してみなさい」と言われました。
 教室と家庭の連携プレーがよく機能していたことが見てとれます。


読み書きの練習を実り多いものへ
 音読の練習については、繰り返し行なった様子を前回紹介しました。ここでは、文章を読むという反復練習の大きな効果について触れておきたいと思います。お母さんはほとんどの文章に関して1 日に3 回は読ませるように対応していたそうです。
 「なんでこんなに読ませるんだろう」と思いながら、僕は読んでいました。3 回読んだあとに「内容を言ってみなさい」と母から言われると、案外、覚えていたりする。「何回も読めば、文章なんて頭に入るでしょ」と母から言われて、「覚えるまで読めば、どうにかなんとかなる」と僕も思うようになった。それ以降は読むことに抵抗がなくなりましたね。
 このように文章を書いたり読んだりする習慣が身についてきた彼は、算数の文章題にぶつかっても取り乱すことがなくなりました。
 算数の文章題の内容は問題毎に変わりますが、読む方法に変わりはありません。文章を読むという作業がそんなに大変じゃないと思うことさえできれば、文章題はかなり抵抗の少ないものになるんじゃないかなと思います。
 親の存在、そして家庭学習の存在の大切さを痛感します。現在の彼が強調したい点もここにあるようです。

 毎日反復を行なえるようにして、何度も何度も経験の獲得ができるのがいっぱいあるといいと思います。


危機をどう乗り越えるのか
 ところで、小学校生活の6 年間、順風満帆だったわけではけっしてありません。誰でもモチベーションを失いかける時機はあるものです。
 ひとつのエピソードを紹介しましょう。小学校2 年生の時の仮病と早退が最初の分岐点だったとすれば、次の分岐点は中学1 年生の1 学期にやってきました。期末テストの英語で26点と悪い点数をとってしまったのです。

 期待していただけにお母さんもさぞ驚いたことだろうと想像します。すぐにお母さんから教室へ電話がありました。私たちは「成績表を持って、川口へ来させてください」とお伝えしました。 教室にやってきた彼に対し、私たちは厳しい表情で次のように諭しました。「英語の点数が悪いというのは、勉強時間が少ない、つまり計画を立てていないということです。英語というのはまず単語を覚えなければならない教科ですから、中学校で最初に出てくる100 や200 の単語をみなさん本当に何回も書いて覚えているわけです。あなたはそれをしていませんよ」。

 単なる表面上の点数ではなく、そこにはっきり現われた学習時間の少なさと反復練習が足りないことを問題視したのです。 私たちは、彼の小学校卒業時に「8 年間の学習でなんとか基盤をつくったのだから、いまの努力を続けていけば、どんな壁も乗り越えられる」と確信し、彼を送り出したのです。それが、わずか3、4 カ月ほどしか経っていない期末テストでさっそく弱点が露呈してしまいました。地道に努力を続けているなら、こんな点数をとるはずがないのです。

 彼も自分の努力不足を認めたので、改めて私たちは「覚えることは誰かが代わってやってくれるわけではありません。自分で覚えていかなければどうにもならないでしょう」と伝えました。そして、「夏休みは遊んでいる暇はありません」と奮起を促しました。

 この一件で彼が自分の姿勢を軌道修正させたことは言うまでもありません。本人の言葉によれば、その年の夏休みは「反省と努力」の日々だったそうです。「子どもたちの成長のステップ」のうち、「自信がつき、『もっと頑張ろう』という意欲が出てくる」段階を強くたぐり寄せたのだろうと思います。

その後の様子については、お母さんが手記(2011 年春季号)にこう書いています。

 “やればできる” と前向きにコツコツと土台づくりに励む、という習慣を培ったことが効を奏し、全般に安定した中学校生活を送ることができました。

 そして、高校(早稲田高等学院)へは推薦で入学しました。推薦入学にはしかるべき成績が求められます。当時、彼から成績表を見せてもらいましたが、国語以外はすべて最高の評価だったことをよく覚えています。苦手だった体育が大きく評価されていたことも驚きでした。

 

はっきり見えてくる道筋

 かけ足でしたが、春野くんの成長の様子を振り返ってきました。改めてポイントだなと思うのは、成長に伴って彼の気持ち、そして行動や考え方の中に余裕が生まれてきた点です。

 これまで私たちは出版物などにおいて「発達の遅れを抱える子どもは自分の言動をやめたいと感じながらも、どうしていいかわからないといった状態にいる」という事実について言及してきました。

 そして、その状態を打ち破るためのもっとも効果的な方法は、まず大人が学習の意義を信頼することであり、そのうえで手本を示しながら子ども自身の判断力や思考力を高める努力が必要であると強調してきました。

 そのような指導を継続すると、子どもは少しずつ余裕を感じ、自信をもち、冷静に自分の課題に向き合うことができるようになるからです。にっちもさっちも行かない状態に教育・学習が突破口をうがち、そこに余裕と自信を吹き込むと言えばいいでしょうか。彼の成長を振り返るとはっきり見えてくる道筋だといえます。

 その道筋を実感されたのでしょう。彼のお母さんはかつて季刊誌(2011 年春季号)の中でこう記しました。

「エルベテークでの指導による“学習向上” は氷山の一角に過ぎず、その成果は生活態度の改善や人間性の成長にまで及びます」。

 

 教室の学習で根づいたもの

 うれしいことに、そうした教育や学習の成果・効果は20 歳の春野くんの中にもしっかりと根づいていることを確認できます。

 「これからどんなところに気をつけていきたいと思いますか?」と問いかけたところ、「何をやるべきか、何をやるべきではないのか、そうしたルールのようなものの上で、これから先しっかり生きていくことが生きる目標につながるのではないかと思います」という彼の答えが返ってきました。

 エルベテークがめざす「有意義な時間を過ごし、そして自ら学び、考え、判断し、自分自身で世界を広げていけるように」(12項より)という目標に向かって進む、頼もしい青年の姿を見せてくれたのでした。

 

子どもたちの成長のステップ(「誤解だらけの『発達障害』」より)

 

 

 

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